□ ノースペシメン
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・―□ 日記系
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    ・―□ 04年1月


2004年 1月19日(月)

神戸スキヤキさんへガンプラコンテストに出していたギャプランを引き取りに行った(できれば展示期間中にもどんなのか見に行きたかったけど)。思いもよらぬことに参加賞として 1/100用 オリジナルウッディベースとザクザクワールドキーホルダー(?)をいただいた。売価だと計600円(税抜き)だよ、いいのか?こんなモノを全員に渡したりして。果たして採算取れてるのか?(参加料なんか徴収してないのに…)。
ま、モノを貰うのもうれしいけど、もっとうれしかったのが審査採点表という 1枚の紙切れだ。6名平均の点数とその審査員の方全員の丁寧なコメントが記述されているのである。はっきり言ってプロが素人の参加 56作品すべてにこんなの書くのってばものすごい労力だろうと思う(どれほどのギャラが発生しているのかはともかくアニメショップの無料コンサート&握手会みたいなものかもしれない…が、アレは純然たる販促イベントであって、参加資格に主催店で購入したキットに限るとかいうケチなレギュレーションはない)。僕のは合計 19.6/30点、100点満点で約65点だから経験値ゼロの初陣としてはツキに恵まれた感がある(限りなく低いレベルだが)。点数の内訳は工作力 6/10点、塗装 5.8/10点、コーディネート 4/5点、オリジナリティ 3.8/5点。工作力は初めてプラモにポリパテ裏打ちしてノコ入れたにしてはまあまあ、塗装はエッジがダルダルになるほどの厚吹きなのだからそれなり、コーディネートは評価基準がはっきりしないが甘い点数、オリジナリティもよくわからないけどなんだか点数が入っている。基礎的な力は全然まだまだだけど今回は運よくウケが取れたというところだと思う。コメントでは全員にカラーリングセンスや発色をベタ褒めされている。つーかそこしか褒めるところが無かったとも考えられるが 「ガンダムセンチネル」 及び月刊モデルグラフィックス誌を読んでいれば自然と身につく知識(というかマネ)だから審査員の方々のお里(HJ)が知れるな、とも思えた。フッ、逆に僕のお里(MG)も知れるがな(べつにいいじゃん)。オオゴシ氏はフリートークもコメントでもしつこく "淡いパープル" と表現されるが正真正銘の明度の高いSガンダムブルー(赤味の青)なんだな。レッドの代わりに蛍光ピンク使ったけど、これも最近のモデグラ作例のマネだ。…ま、異文化コミュニケーションではからずも評価された部分はおいといて、今後の改善点。曰く、エッジが丸い、表面処理に時間をかけて。一応全パーツをペーパーで研いだけど、サフも塗装も厚吹きでダルダルなのはマズイ。これは何をおいても改善すべし。審査員のある方の言によれば応募作品の 9割が塗膜が厚いとのことだったが。さらに曰く、基本工作がまだまだ。ウーム、小改造部分か、素組み部分か、どの工程を指しているのかわからないが塗装がしたくて雑な作業になってしまったところもあるかもしれない。入賞作品を見ていると畢竟大幅改造作品が目立つのでそういう意味かも?だったら一朝一夕にはいかないけどね。さらにさらに曰く、スミ入れ…ギャプランは古臭いディティールが多かったのでほとんど潰したんでスミ入れ箇所はほとんど無かったのだけれど、谷折りコーナーで別パーツと思われる部分には分割方向を考えてスジ彫ったりするらしい。モールドが少ないと思ったなら実践してみよう。さらにさらにさらに曰く、全体をつや消しで統一した方がよい。ウーム、バインダーの対ビームコーティングと、本体、とくにモノアイルーフをやや半ツヤにすべき(蛍光カラーはそのままではつや消し)と考えたのでいろいろとつやの混合比を変えてクリアコーティングしたんだけどね。全部がつや消しなんて芸がなく手抜きしてるみたいに思えたしさー。ま、楽だし今度はそうするか。




2004年 1月11日(日)

神戸スキヤキさん主催 第2回 神戸スキヤキ ガンプラコンテスト授賞式&トークショーを見物してきた。無論拙作のギャプランなどは入賞作品とは魂とクオリティにおいて天と地ほどの差があり、さすがその神業的な工作・塗装・仕上げは間近で見ても隙が無い。論理的には今後それらの作品を目標に経験を積んでいけば徐々にでもその域に近づく可能性はある筈なのだが……あまり根をつめて坑鬱剤 2週間分を 1週間で飲み干す生活を続けていると病院に見限られるので模型もそこそこ自重すべき状況であるのがツライ。あれこれ考える時間だけはあるのがよけい悲しい。

さて、授賞にあたって審査員の方々の評価についての白熱した論議が交わされたことをうかがわせるお話を聞くことができた。以前ネットでゲーセン主催の投票式ガンプラコンがあり素組みの Ex-S が組織票で優勝をさらったとか聞いたけど、今回の審査は第一線のライター級 6名(HJ 系のヒト)の厳格な評価基準と熱い主張を戦わせた結果の総意だけあって実に素晴らしい作品が入賞となった。
神戸スキヤキサイト内イベントレポート [受賞作品 その他応募全作品]

金銀銅各賞はそれぞれ方向性がバラバラで好みの分かれるところ。金賞の ν ガンダムはなにもそこまでと思ってしまう程のプラ板工作とその精度に圧倒されるが、不勉強にも僕は元ネタのガンダムイボルブを見ていなかったから変更されたデザインを知らない。ただ、いくらムーバブルフレームと対ビームコーティングされたカウリングとはいえ敢えて ν ガンダムの方のコクピットポッドが露出するほどこなごなに分割するかというと多少疑問。ポーズも無理があるが、それを承知で力技でモノにしてしまったように思う。ガンダム系の腕を真上に上げると肩アーマーが天地逆になってカッコ悪くなるとか無理矢理首(背筋)を反らして上方に向けるとか、並みの力量では無難に避けてまとめるべきところ。CCA のアニメ本編でさえこれほど "人間的" なポーズの作画ではなかった。精緻なメカニックパーツだけで構成されているのにもかかわらずフィギュア的な迫力を感じさせる。審査員の方々の間では金賞と銀賞の分け目となった(というかここしかなかったという)ベースだが、確かにメッセージの銘など凝っているが飛翔感がなく "乗っかってる" 感じがするのと両脚の内側を隠してしまっている点が少し残念。銀賞のバスターはそのポージングのあまりのカッコよさに最初 『干渉部分を削って固定ポーズかな?』 とか思ってたがプロポーションを改善しつつ可動部をポージングの為に拡大したフルアクションを両立したモデルであると知って 2度ビックリした。前述の通りベースといった本体以外のパッケージングで惜しくも金賞を逃したが僕個人的にはこちらに 1票、という感想を抱いた。銅賞の G04 は自作デカールによる派手なマーキングながらストイックな素立ちに完璧な塗装で、実際のところ個人的に究極の目標と手前勝手ながら憧れる(永遠にムリと思うけど)。リンク先の写真では目高だが俯瞰で眺めたときのカッコよさは筆舌に尽くしがたいものがある。しかもこれ、各模型誌のコンテスト荒らしといわれる製作者の方にとってはいささか手抜き作品の部類であるとかご本人のサイトだったかで読んだ気がする。確かに金賞銀賞作品のような超絶工作ではなく総合評価で採点されると遅れをとってしまったのかもしれないが、それでも仕上げに関しては上位作品と比べても抜きん出ている。他の入賞作品では多用されている極端なグラデーション塗装を敢えて用いておらず、もしかしたらベタ塗り?といった風情で個人的に好みである(縮尺模型としてのデフォルメーション塗装の有効性もわかるが自然に落ちる影が好きだからだ)。ただ定番のコバルトブルー系の青ではないのが唯一モデグラ03年12月号作例との差かな…ってプロのライターじゃないんだよこの方ってば…。

偶然会場で隣に座っていた方はアストレイでジュニア部門の金賞を獲った中学生。すごいね、おめでとー、とか言いつつ作品はガンダムSEED の僕がまだ観てない回のネタだったので具体的にどこが改造点なのかサッパリわからなかった(ゴメン;;;)が、審査員の方によると機種変更に伴い大幅改造しているとのこと。入賞商品もちらっと見せてくれた。「ガンプラは今まで何個くらいつくってきたの?」との問いにはうーんと悩んで「わからない」という。なるほど僕も「君はアニメを何本見た?」と訊かれれば数え切れないから同じようなものかと納得した。僕などは(希薄ながらも)他人に見られるという意識でプラモをつくったのが今回初めての経験であるストレンジャーであるから指向の点でいささか場違いな気もした。ただのアニメのガンダムに関してならば相応に濃ゆい場にあっても馴染めてしまえる筈だが、ことガンプラ限定の場となるとみずから手を動かしてこなかったぶんだけなんだか自分が "うすいヤツ" に思えてしまうのである。まあヲタ(趣味人)でない人には理解し難いかもしれないがそれが好きであるほど周囲が自分より濃ゆい人ばかりという状況はわりと屈辱的なものである。あ、いや、ヲタに囲まれた堅気の人もツライんだろうけどさ。

各受賞作品群の紹介&詳細な技術的・精神的解説と授賞式が終わって(つーかこの時点でトークショーになだれ込んでるんだが)入賞していない応募作品も交えて講評が加えられることになったのだが、いきなり拙作のギャプランがショーケースから取り出された。心中この僥倖に対する喝采とドキドキビクビク。どうやらカラーリングと発色が目をひいたらしく、その点については過分なお褒めをいただいた(その他はアラが多いんだけどね)。正直言って初めて会場に足を踏み入れてショーケース内の作品群をひと通り見たとき、四方からのまばゆい蛍光灯に照らし出されたギャプランの発色のよさに我ながら驚いてしまったくらいなのだが、夜中のベランダに向かって試し吹きしつつあれこれ調色したのがたまたま吉と出たようである(ダメじゃん)。ともかくブルーだろうがグレイだろうが 174番 蛍光ピンクをどぱどぱ入れたのだ。どうやらガンプラ作品というと地味でくすんだ暗い色になる傾向がまま見受けられるのだが、未だチネラー指向の僕としては、膨大な資料としばし実機が存在するスケールモデルではなく敢えて架空のガンプラなんだからグラフィカルでキレイな方が断然カッコいいに決まってんじゃんと確信しているので、ショーケースに並ぶ作品群から妙に浮いていようが、下品なドス黒い作品にリアルじゃないとか威圧されようが全然平気。もしかすると感性の問題になるかもしれないけど、やっぱ色は明るい色でも暗い色でも薄汚いのはダメ。言い慣わされた言葉だが一部なりとも濁りのないスコーンと抜けるような色がないとダセー。メーカーによって計算の末に複雑な混合をなされた色が多いプラモ用塗料(ガンダムカラー含む)だけど、全部が全部ビンから生のまま使うのでは表現の幅が狭いから畢竟調色は避けて通れない(ガンダムカラーで成型色(≒設定色)通りに塗るのならば話は別)。だから僕はあまり複雑な混色をされた塗料を好まない。たとえばキレイなブルーグレイをつくろうとしているのに迂闊に素性の知れないグレイを入れた結果妙に緑味を帯びてしまって泣くこともある。ビンの色を見ても試し塗りするまでどんな色になるかはリクツと経験でしかわからないからだ。…と、ちょっと話がそれて申し訳ないが、結局今回のギャプランの色って12月の日記の製作記でも書いてるけど GFFの Ex-S(当然通常塗装版・4個買った)や Zetaplus (Blue) でお馴染みの「ガンダムセンチネル」におけるSガンダムブルーとホワイトをちょっとアレンジした淡いSガンダムブルー(つーか進化したアサヒPF-21ブルー?)とライトグレイでしかなく、しかもイエローを赤味に振ってレッドをオレンジ気味にしたのも同様である。よくわかんないんだけど HJ 関係のヒトって「ガンダムセンチネル」をスミからスミまで読んでる暇なんてなかったのかな?でもここ近年発売されたセンチネルオンリーの MS キットのレビューはするよね?そういう点で若干パクリ気味のギャプランの配色が褒めちぎられたのはなんだかズルしてるみたいで申し訳ないような審査員の底が割れたような気がした。
あ、色以外、工作は論外だったのかもしれないけど、スミ入れしてないとか言われたな。12月の日記の製作記に記述した通りのスミ入れは一応やってるんスけど(もしかして見えない?)センスが古いディティールを削り落とした今回のギャプランにはその他にスジ彫りがほとんど無いのな。じゃ、どうすればいいのか聞いてみると、さすがになにも無いところにいきなりスジ彫るのは難しいから、谷折り部分を分割部に見えるようにスジ彫るらしい(割る方向がキモだな)。なるほど、そういう手もアリなんだ。確かにスミ入れまではガンプラの定石作業だから無いと不安なんだろう。僕は以前 1/220 フルバーニアンver.Ka で黒くてぶっといスミ入れして勝手に恥じ入ってたところだったので、その反動で微妙な色使いのスミ入れしかしてなかったんだけど、黄色いベンチレーターのスリットのスミ入れも黒でかまわないよという信じ難い発言もあったので少なからずカルチャーギャップを感じた。確かに黄色いエアインテイクなら開口内部はダークイエローなりでいいと思うが、仮にメッシュが貼ってあるとしたら黒でかまわないし、設定画稿で黒く塗り潰されたデザイン上のアクセントとなるスリットならば下手に色味を加える必要が無いわけだ。勉強になるなあ……?



12月の日記の写真は天井の蛍光灯の一灯撮りだったけど、上の写真は前からも蛍光灯スタンドの光を当ててみた。確かに発色に限って言えば抜群である(配色については好みがわかれるところだろうが…)。まあ蛍光塗料だから経年変化で色褪せていく運命なんだけど、コンテスト用と刹那的に割り切ればいいじゃん。しかし有視界戦闘に限定された U.C.世界において蛍光色で塗られた兵器なんてアリ?ま、概ねテスト機とかいってごまかすんだけど(オマエモナー)。赤とか黄とかトリコロールとか挙句に金色とかが実戦投入されてるんだからもう何色でもいいよな、ガンプラって。

で、だいたいトークショーも終わり、なんとなくぱらぱらと適当なフリートークになった。男性の方(お名前失念失礼!)と女性の方(オオゴシ氏?)に拙作のギャプランについて色々とご意見ご感想をいただいた。自家サイトのコンテンツですらほとんど感想なんてもらえないのにこうして直接話ができるのはとても貴重な場だと思った。色塗ったガンプラはまだ 3機目だとか、パーツ取り用ギャプランはパチパチ組んだだけで変形させて遊んでいるとか、左ひじのマスキングもれをタッチアップしてないのがオオゴシ氏にガッカリされて凹んだりとか、発色は蛍光ピンク入れてるからだとか、アクセントのモノアイルーフは生の蛍光オレンジだとか…脚のオレンジ帯はジェットエンジンのタービンラインをまねた悪質な冗談だとかは言わなかったけど。

スキヤキンNさんがライターの男性の方とアルプス電気の MD プリンタによる縞のないグレイ印刷のテクニックについて話していて、もちろんユーザーでない僕にはチンプンカンプンだけれども興味津々ではあった。やはり市販デカールだとワンパターンだし、デカールに白が刷れるのは魅力的だ。『PCの周辺機器として考えるな。エアブラシやコンプレッサーやリューターと同じ模型工具として必要か考えればいい』というようなことを言われたのが印象的だった。


僕は未だ(常習的)モデラーとはいえないが「ガンダムセンチネル」の頃からモデルグラフィックスは購読してきた。モデグラの記事は概ね読み物として面白かったから毎月目を通していた。しかし長らく自分で手を動かそうとはしなかったから、変に耳年増のわりに技術や経験が無い。しかもモデグラ作例の技術が進化しているのと同様に HJ 等も僕が垣間見た頃とは違うのだとまでは思い至らない。ま、芸風は変わらないだろうけどプロアマ問わずモデラーという類のヒトはちゃんと各模型誌に目を通して流行り廃れを肌で感じているようであり、これからマジメに神戸スキヤキコンテスト向けにガンプラつくるのならスタンダードである HJ くらいはおさえておくべきかもしれないとか、ちょっと思った。でもパラパラめくるだけで買ってない。あまりに広告が多くて重くて、1分以上立ち読みするモチベーションを保てない雑誌だからである(買えよ)。




2004年 1月6, 7日

ウチの店の正月連休に父母と僕の 3人で下関へふぐを食いに行った。父がなんでもいいと言う以上べつになんでもよかったのだけれど…僕はカニの方がいいと言ってみたけど母は新幹線で気軽に旅気分を味わうのが目的なのでふぐになったのだと言う。ワケワカラン。僕は仕事で1ヶ月程滞在して多少は土地勘もある博多近辺ならとも思ってホテルやふぐ料理店を検索して見せたのだが、母は旅行代理店に行ってひとりで決めてきて、結局下関ということになった。もらってきたホテル近辺地図の範囲が狭くてよくわからないのと、ホテルのチェックイン時刻が遅くチェックアウト時刻が早いので見物するところを適当に決めておくべく検索してみて、僕的には 海響館 くらいかな、とアタリをつけておいた。帰りはホテルのチェックアウトから新幹線の時間までかなりあるのでゆっくり見られると思ったからだ。

新下関はひかりが止まらない?らしいのだが 8両編成の "ひかりレールスター" なるひかりとこだまの中間のカテゴリーがあってそれだと新下関行きが 1時間に 1本あるらしい。僕はこれまで東京か博多が目的地の乗車ばかりだったので初耳だったけどいつからあったのかなぁ。問題は指定席で、父は健全な嫌煙家で僕は肺黒い愛煙家なので自然と車両はわかれる。たまたま往路は喫煙車両の指定席しか空いてなかったらしいので同席したが。僕の経験値では喫煙車両というのは常に数人が煙をくゆらせていてあたり一面にもやがかかったように白くなっている筈で、煙たいなら自由席に移ってもらう心積もりだったのだが、一般企業では既に仕事始めの頃なのにいかにもビジネスマンといった乗客は少なく、つーか空席も多かったんだけど、東海道新幹線のひかりと比べたらこんなものかな。いや、やはりどこでも時代の趨勢や過剰増税などで節煙する人が増えたのかもしれない。ますます住み難い世の中だなぁ。

母は弁当(僕は新神戸に食べたい弁当がなかった…)を食べてしばらく寝ていたが、酔いどめのクスリを飲んでいた為らしい。僕も乗り物酔いはするけれど…クスリを買うときにも新幹線で酔いますか?とか言われたらしい。プラセボだけで絶対酔わない筈だとか。まあ東海道新幹線と比べて山陽新幹線の車窓の景色のほとんどは真っ暗なトンネルばかりでつまらないのは確かなので寝てるに越したことはない。しかし遠出気分を味わうのが主目的の旅ならば東海道新幹線の方がよかったんじゃないかとも思った。僕も仕事以外で東京に行きたかったし(アニメや特撮で見知った名所の実物を拝みたいというのはいっぱいある筈だからだ)。

他愛もない話をしながら、あと小 1時間くらいで新下関というところで母は名残惜しいわ〜とかつぶやいた。僕としては乗り過ごさないようにと緊張を強いられる(要はその程度のことをストレスとして感じる奴なのだ)ので早く到着して欲しいところだけど。ま、母にとっては遠出をするのが目的なのだからそういうものかもしれない。思えばここ数年間、母は(もちろん父も)泊りがけの旅行なんてしてはいない筈だ。商売柄、連休するのがためらわれるのでこんな機会がなかったのだ。もしかしたらこの正月明けの連休も母の思い切った提案だったのかもしれない。そして母自身がプランを立てて実行したこの旅行はその過程ひとつひとつが大切な名残惜しいことなのかもしれない。だから僕はキレたりふさぎ込んだりして今回の旅行を台無しにしてはならない。念の為に坑鬱剤も多少余分に持ってきたし、新しいデジカメと記念撮影用(本来はフラッシュ発光禁止時の低速シャッター用)の三脚まで持ってきた。いい子にしていよう、想い出の写真をいっぱい撮ろう…僕はちょっと情けないけど沈痛な決意で新下関へと向かっていたのだった。(^^;

新下関駅は市街地とは随分とはずれの方にある。新幹線のチケットでその都府県内の在来線には乗れるから列車で移動するのも手ではあったが、なにも下調べがついてなかったのでそのまま改札を出てタクシーで移動することになった。てゆうかその常識を母は知らなかったらしいんだけど(新神戸駅は在来線と接続していないので無意味なのである)。行き当たりばったりで火の山展望台とかいうロープウェイのあるところに向かうも田舎の変な道ばかり通り、動いているのかもしれないロープウェイを勝手にすっ飛ばしてタクシーは曲がりくねった山道を登っていき、僕は乗り物酔いになった。新幹線で酔うかもしれないと考えた母は平気な顔をしていたけれども。

火の山展望台から望む関門橋。神戸市の明石海峡大橋に比べればどうということのない橋ではある。
ともかくこの風景をバックに写真を撮ったが向きによっては逆光になるので非常手段としてフラッシュの強制発光でも撮ってみた。しかしフラッシュ撮影の写真って陰影が平板でキライなんだよ。やっぱ自然光が一番(長玉で瞳のキャッチライトにフラッシュを使うとかなら別だけど)。『逆光は勝利』という格言もあるけれど(それは格言じゃないですよ) 素人の僕にとっては順光に越したことはないのである。


タクシーはそのまま宿の下関マリンホテルに直行。しかしチェックインまで随分と時間がある。付近にはとくになにも無く閑散としている。糞タクシー酔いの僕的には、ホテルのロビーで勝手にくつろいでいても土産物を物色しても施設を使用してもかまわないのだからホテルに入っちゃえばよかったのだが…。

親子 3人ショット。ホテルのチェックイン時間までの暇潰しに近くの展望台で写真を撮りまくった。三脚を置いてフレーミングしたときには右側のフェンスが手前にあるとは気がつかなかったので、慌てて横向きになった僕の立ち位置が妙に前進しているがこれはこれで変化がついて意外といい感じに写ったかもしれない。このとき父のクツの両かかとが割れていた。安物だから、めったに履かないからそんなことになるのだと母は戒めたが、すぐ寝転がって休憩している僕よりも還暦を過ぎたばかりの父の方がかかとの無いクツであちこち歩き回ってた。結局現地で調達しようともしなかったので、帰宅してから僕の履かなくなったチープな革靴を進呈した。なお僕がスーツ着るときに履くクツは一見革靴だがアシックスの対雪スニーカーである。昔大雪でいっぺん転んだ直後に買ったのだ。関係ないけど今履いてるショートブーツ風のスニーカーは足底から半回転式で金属製のスパイクが出てくる。神戸では 4年に 1度くらいしか用が無い装備である。


前述のホテル近くの展望台にあった太洋漁業寄贈のくじら館。現在は閉鎖されており、内部の展示物などは '01年4月にオープンした海響館(次の日に行くんだけど)に移管されているとのことである。
ひとけの無い展望台に放置されているうらさびれた用済みの巨大なオブジェは不気味ですらある。

構造 : 鉄筋コンクリート製
設置 : 昭和33年(1958年)
全長 : 25m
面積 : 129u。


下関マリンホテル前のバカバカしい顔出し看板。
武蔵は(一回も見たことないけど)いいとして、人物の絵は「名探偵コナン」じゃないのか?なんか下関とコナンって関係あんの?ご丁寧にメガネまでかけてるしさー。


ホテルの部屋。僕はシングルかツインしか泊まった経験がない。だから 3人部屋なんてどんなのだろうって疑問に思ってたんだけど。ホテルで和室の部屋なんて初めてかもしれない。実際温泉旅館みたいなものか。海峡を望む角部屋で、夕日から日の出まで拝めるようである。ちょっと得した気分。

部屋の東側の窓の風景|部屋の西側の窓の風景

案内された部屋に入り、お茶と菓子で人心地つくと、父はテレビドラマを熱心に見ていて、母はパンフ片手に明日の観光コースを思案していて、僕はというとデジカメのとシェーバーの充電をしていた。
風呂とメシの時間の兼ね合いで、僕は寝る前にと決めたが、風呂のプロである父は即座に温泉へ行った。ついで母も温泉に直行。まあぼけーっと留守番でもいいけど。

ホテルに隣接しているマリン温泉パーク。
(ホテルのマッチの箱絵)

正直言って僕は温泉が気持ちいいとか思わないのでなんの感慨も無く、ちゃぽんと浸かってすぐ部屋に戻った。もっと楽しめたらよかったのにね。父は夕方、夜、翌朝と 3回も行ったみたいだが。

ホテルから望む関門橋。
(ホテルのマッチの箱絵)

正直言ってホテルのレストランのふぐ料理はたいして旨いものでもなかった。父は 3人分のひれ酒を飲んでそれなりに満足していたようだったが。専門料亭のふぐ料理なら旨いのかもしれないが、僕にはさほど味の違いがわからないような気もする。

ホテルの窓から見た日の出。

結局前日はホテルでメインイベントのメシとフロ以外なにも無く眠剤飲んでよく寝た。明朝、母が撮ってくれとせがむので撮ったが液晶ファインダだから目に障害を負わずに撮れてしまうんだなぁ(取説には日光に向けると故障の原因になるとは警告しているが)。無論フィルタ装備の一眼レフなら撮れるけど。ともかくこれが僕たちの初日の出なわけで。神戸の家だと日の出も夕焼けも見れないんだよ。課題のビデオドラマを撮ったときはカメラの機能と編集時の色補正で夕焼けをでっち上げたけど。

朝食のバイキングはホテルがなにひとつ食べられるメニューを揃えていなかった為に僕は牛乳だけ飲んでおいた。残量が心もとなくなった向精神薬を飲む為である。
チェックアウトがやたらと早いのでのんびり土産物を物色し、予定通り海響館へと赴いた。タバコとクスリ無しには耐え難い道のりに思えた。母は船に弱く僕はタクシーに弱いようである(家のクルマは平気なのに)。

下関市立水族館 海響館。ハコはデカイね。
神戸の 須磨海浜水族園とどっちが大きいかな…須磨はフロアは多くないけど広い敷地でまんべんなく各種水棲生物をフォローしているけれども海響館はかなーり偏っているように見受けられる。観光客としては手近にあるものと同じものを見に来たわけじゃないからこの異様な偏りは面白かったのではないかと思う。

海響館の詳細については当該ウェブサイト参照。

[4F] 関門海峡潮流水槽は屋内外の光量差がはげしくてフラッシュ焚いてもうまく撮れなかった。
[4F〜3F] の海中トンネルで母はサバやイワシの群れを見てキャーおいしそう!とか騒いでいた。
これがふぐだと食べ慣れないからなんとも思わないらしいけれども。
[3F] とにかく ふぐ 及び ふぐの仲間 だらけだー。終始徹底している。お前らはそんなにいいのかふぐが!?下関市民は一世帯あたり数十匹のふぐの飼育と放流を義務付けられているものと思われる。
もちろん事実無根であるがあながち妄想とも言い切れないのが怖いところである。


上は 03年10月5日ふ化
下は 03年4月18日ふ化

[2F] いきなりフツーの水族館と化す。いっそ全館ふぐと鯨でもよかったがそれだと地元民にとってはなにも面白くないだろう。あらためて熱帯魚とか肺魚とかが出てくると、もうフツーの水族館のフリしなくてもいいよ、そんなのどこでも見られるしってな気分になる。
魚の写真は難しい。フラッシュを焚くと(一部フラッシュ禁止の場所もあるので注意!)水槽前面ガラスに反射したりするし、三脚を立ててスローシャッターで撮っても常にすばやく泳いでいる魚などはブレて意図通りに写らないからだ(偏向フィルターがあると解決するのかな?偏向フィルター欲しいなあ…欲しいなあ)。

アオリイカ。イカは水流ジェットで常に高速で巡航しているので、(マグロなんかと同様) 水槽で飼育できないと昔の本で読んだ気がする。同じイカでも種類が違うのか、水槽のテクノロジーが向上しているのかは知らないが、止まっているような泳いでいるようなイカの展示ができるわけだ?
学生の頃、サークル仲間との旅行の帰りに三重県の鳥羽水族館に寄って『イカが見たい!』と巡り歩いたが巨大イカの漬物?しかなくて『泳いでるイカが見たいんじゃ!』とゴネた覚えがある。

2F アクアシアターのイルカショーは一見の価値がある。実際 2回観たし。とにかくイルカたちがみんなはりきっていてサービス過剰なほどに弾けていたのが印象的。同様のショーはこれまで何度か観てきたけれども『ほほーっ』とこちらが驚かされてしまったのは初めて。自分の体長より思いきり高く跳ぶわ、2頭ずつにわかれて同時に交互に跳ぶわ、ひねるわまわるわ水しぶきあげるわで大変な騒ぎだった。前の方の席で観ていたから水をかぶるのを恐れてカメラはしまっていたけど何枚か撮っておいてもよかったな。メモリースティックは 256MBを 1枚しか持っていなかったのでメモリ消費の激しい動画撮影は試してみる気になれなかった。
この夏の千歳(もう行く気でいやがるぜ)にはあと 2枚のメモリースティックと予備のバッテリー、オプションのテレコンバータが欲しいところ。

うらさびれたペンギンプール。たまたま順光だったので撮っただけ。やっぱ空飛べない鳥にはなりたくないね。空飛べない人間にもね。あー、なんで人間になんか生まれてきちゃったんだろう。糞にたかるハエの方が飛べるだけずっとマシだったと思う。

シロナガスクジラの骨格標本。
前日に訪れたくじら館にあったものなのだろうか?あの建築物に収容するには大きすぎるけれど。
しかし自分がこんなデカイ体だったならたったひとりでそれを維持するだけでくたびれてしまうに違いない。ならばいっそオキアミになってクジラの血肉としてもらった方が気楽でいい。

母がふぐのぬいぐるみ等々のお土産を買って海響館を出ると、父がずんずん歩いてゆく。新聞で見たという寿司屋に行くらしい。僕はメシ食う気分じゃなかったが休憩できるならいいか、程度に思っていた。迷いに迷った挙句父の目的地に着いたらしい。僕は手洗いを済ませて落ち着いて店内を眺めると寿司がぐるぐる回っている。不意にカッチーンときた。空席待ちの糞虫野郎どもがだらけた顔を並べている。まもなくカウンターの 3人席が空き、座るように促される。異様な臭いに吐き気がする。ラッキーストライクに着火し、思いきり肺に吸い込む。従業員(見るからに不潔)がカウンタ内から『すみません禁煙です』と、さも自分は正しいことをしているのだと疑いもしない顔で言い放つ。正しいことなら誰にも言える。バカが、予定調和だぜ、ロン。母の耳元で『外で待ってるから大丈夫』とささやいて席を立った。出入り口付近の従業員(ブス)がさらに喫煙をとがめるようなことをヒステリックに叫ぶ。『そやから今出て行ったろうっちゅうんが見てわからへんのかボケ』とやさしく声をかけて退出した。…コイツら全員キチガイアル。オレ様を呪いながら苦悶にのたうちまわって死ぬより辛い永遠を生き続けるヨロシ。あらゆる激痛の無間地獄に堕ちるアル。

あ〜あ、ついキレちゃった。でも食いたくもないメシだったんだからしょうがない。着火したのは確信犯だし、無視して店内で喫煙しながら居座ったり、暴れたりしなかっただけマシと思ってくれ(誰に?いや母に)。

木製のベイサイドには普通ベンチ代わりと思われる大きな木箱がありゴロンと大の字になることができた。
1月初旬だというのにとても暖かくて 1時間以上の睡眠をとった。母が起こしに来たが、父はどこぞの神社で初詣らしい。かかとの無いクツでよくも歩き回る。だがしょせんハンディキャップも他人事。僕の知ったこっちゃねえ。新幹線の時刻までやたら時間が余ると予想されるのでふて寝を続行。このままずっとまどろんでいるのもいい。僕にはもうこのへんが限界です。

僕はもうすでに早く帰りたい気分だったが父がどこか行こうというので宿のポスターにあった海峡ゆめタワーなるところへ向かった。外から見るとキレイなものだが肝心の展望室の窓は汚れてくもっていて写真の 1枚も撮る気にならなかった。だいたい見知らぬ街を展望したところでなんの感慨も無い。これが土地勘のある地元のポートタワーなら我が家の近辺だとかよく行く繁華街だとか人工島だとかなにがしかの展望する意義を見出せなくはないのだが。フロアは 3つでうちひとつは料亭となっていて実質立ち入り不可。下のフロアには武蔵関連展示物がずらりと並んでいるが眼中に無し。あー、ポートタワーの "ぐるぐる回る喫茶店" みたいな愉快装備も無いことですし、ということでさっさと退場。ところが行きは露天エスカレータだったのが帰りはもっと高いフロアから歩きで石段を下りることに。もうこりごりざんす。

ちょうどいい時間になったのでタクシーで新下関駅へ直行。今時珍しいマニュアルミッション車でステアリングの左側になぜかうねうねと曲がったシフトノブが生えている。あまりに細いのでシフトチェンジのたびにポッキリ折れそうで怖かった。

僕は昼を抜いたので駅弁でもどうかと勧められる。ふくめしかふくすしか、なんとなく具が多いのでふくすしにする。ホームに停まっていたこだまにはお子様用の遊戯室があった。0系ってなんとなくソ連機っぽいよな。で、往路と同じく700系のひかりレールスターなんだけど、父は禁煙車の指定席に、母と僕は禁煙車の自由席で一緒に乗ることにした。ふくすしはほとんど味が無かった。ふぐの唐揚げも冷たくなってはチキン以下である。結局ふくすしはほとんど食べられずに残った。タバコは喫煙車の自由席に移って吸ってたが岡山あたりから自由席が混んできたので各自指定席に戻ることにした。母が旅行代理店で聞いた話によると喫煙者でも禁煙車に指定席を取っておいて喫煙車の自由席でタバコを吸うといったことがままあるのだという。僕的にはそれでもし喫煙車が減っちゃったりしたらどーすんだよと危惧するのだが。ヒコーキは全面禁煙だけど、伊丹−千歳なら90分くらいだったからガマンできなくもなかった。だけど万一新幹線の喫煙車が無くなったりしたら…非常に困るな。とかなんとか考えつつひとりでラッキーストライクを味わっていると新神戸駅に到着。ホームで自分たちが乗ってきた700系の後姿を撮ろうとしたところでカメラのバッテリーが切れた。

というわけで旅慣れない人々の旅は終わる。オチは用意していない。




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・―□ 日記系
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    ・―□ 04年1月