秋の訪れとともに空気は澄み渡り、星の彼方まで見通せそうな空の色。でも季節はずれの厚い雲に閉ざされて、そこにあるはずの景色を塗りつぶしてしまう。
「浩之ちゃん」 春まではまじめに出席していた。オレにしてはよく続いた方だと感心する。毎朝あかりに起こされての話だが。高校の頃とかわりばえのしない平和な日常。あの来栖川先輩とだって、それはずっと同じだと思っていた。でも、 「浩之ちゃん!」 ひと足はやく高校を卒業した芹香 ――― たびたび無断で屋敷を抜け出したせいで警戒が厳重になったのかもしれない。いつのまにか彼女は口数が少なく、いやもともとそうなんだけど、なんていうか、その表情が読めなくなっていった気もする。あの中庭で毎日その横顔を眺めていられた頃のようにはいかない。とくにこの数週間はまったく彼女に会えない日々が続き、オレは気分が沈みがちだ。 「浩之ちゃんてば!」 そうそう、こいつが近所に住んでる神岸あかり、って、んなこたいまさらどうでもいいか。ひょっとしたらこいつと恋人気分でつきあってやってもいいのかなあ、とか考えたこともある。若気の至りってやつだ。やっぱこの犬コロとじゃな。ほれ、ワンワン、お手。 「もう、それはちょっとひどいんじゃない」 「うお?」 心の内を見透かしたかのような反応にオレはうろたえる。長年のつきあいってやつは恐ろしい。オレは考えてることが出やすいからな。わかりやすさではあかりにはかなわないと思うが。 「オレもわかるぜ。あかりはオレと昼メシ食うつもりだ」 「え、なんでわかるの」 「だってあかり、鼻の頭にごはん粒ついてるもん」 「やだ、ほんとに」 ついてるわけねえじゃん、気づけよ。その紙バッグはふたり分の弁当箱だろ。 「それは、でもわたし、いつもお昼はお弁当だし」 オレの記憶が確かならば、あかりはここんとこ毎日、サークルの連中と得体の知れない料理を試食しているのだ。ってなんでオレもそこまで知ってなきゃいけないかな。そうそう、それでオレもえらい目にあったんだっけ。 「じゃいつも通りカレーでも食って帰るか」 「えー、きょうのはすごくよくできてるんだから。浩之ちゃんの分も」 ほんとはあかり自身の作った弁当ならオッケーだ。前衛的なメニューを並べられると困るが。あかりはおばさんに色々教わっているらしく、普通にメシ作る分には充分なレパートリーがある。料理は芸術だとかなんとか、うまいこと言われてだまされてるんじゃないか。 「また変なもん入ってねえだろうな。こう見えても味覚には保守的な人間なんだ」 「だいじょうぶ。浩之ちゃんの好物ばかりだよ」 これもふだんからメシの話をしたり、たまに晩メシ作ってもらってるからできることだ。でなければあかりの中のオレの嗜好データも陳腐化するだろう ――― いつも一緒にいるから、か。 「そっか。楽しみだな。あかりの弁当なんてひさしぶりだし」 「浩之ちゃん、元気ないみたいだから ・・・」 だからいっしょに弁当食おうってことなんだろうか。オレが気にかけているのは芹香のことだけなのに。それはとても理不尽なことのような気がする。 「んなこたねえよ。オレはきょうも絶好調だ。いこうぜ、あかり」 よけいなことばかり考えそうになる頭をふりきってオレは駆け出した。芹香のことでくよくよ考えるのはひとりのときだけにしよう。 「そんなにいそがなくてもまだ時間あるってば」 「駅につくのが遅かった方がジュースのオゴリ、決定な!」 オレはカラ元気でウヤムヤにして一日をスタートさせた。 前に戻る | 次に進む |