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        ・――□ 第5話の問題点への雑感
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        ・――□ 第5話の問題点へのレス


前出の第5話の問題点への雑感 の "米山くんに対する扱いの問題" で書いたことは、要するにあの交代劇はあかりの為にやった、青白くんの見た目はどうあろうと浩之の意志に押しのけられるような気がするのでオッケー、ということで自分では納得 ・・・ んで後半はたまたまウテナのDVD 4巻をBGVにしてたら「きしゃあああッ!」と書いたので乱暴なんですが要するにイヤ度ではささやかで気にするほどじゃないし、開き直り度ではまだまだヌルイ・・・っていうか別に ToHeart は開き直ってないんですけど、そういうイヤ度に踏み込みかけた半端さが完全にウテナモードだった自分の気に障った、そういう思考の生ログ状態でレスにも感想にもなっておらず蒔き散らかして失礼千万ですが自分で面白かったのでよしとします(いや、よくない)。


さて、別に対立するわけじゃないんですけど(どれくらい気にするかの違いだけなんですけど)、ワタルさんの "米山君の設定の必然性" でその米山くんが青白い子である必然が無いことが再度述べられているのですが、そういう状況に対するレスが神木さんの "「青白い子」という設定の意図" でした。

別に僕の書いたことに対する直接的なレスってわけじゃないんでアレなんですけど、前回の垂れ流しはちょっと反省したので考えたことをレスっぽくまとめます。


設定の意図と浩之の意志

ワタルさんの仮定(イヤ設定にする必要がない)については賛同せざるを得ません。アニメから読み取り得る浩之の意志を視聴者に示すだけならば、確かに青白い子を押しのけることはさほど必要ない。僕の前出の論旨は押しのけても構わないということしか述べていませんから、構わないということを敢えてその設定で強調する必要は確かに無い(強調になっているかさえ疑問)。視聴者に対する状況説明にすぎないと思っているからイヤに見えている状況は何も変わらない。うーん、困った、どうやって防禦しよう・・・というところで神木さんのとこから論拠を借ります。


神木さんが指摘されたのは ToHeart 全編のあかり筋としてこの段階(雛山理緒の6話以前)で浩之の意思がダイレクトにあかりに伝わるのはマズイ、それをあかりに包み隠す為に青白い子の設定意図があるということだと思うのですが、確かに浩之からどう見えるか、その他大勢又は視聴者からどう見えるかしか僕は考えてなかったので、作者の設定意図として納得できます(その意図も含めて嫌だというのは動かないのかもしれませんが)。1話でいうと(2,3,4話は各ヒロイン立ってるので除外)表向きのエクスキューズは志保の為とか委員長とかその他全員に包み隠されてあかりには察知(確信)されていない可能性が高いですね。しかし同じことをやる必要があるかな、とは思ってたりもするので前回の行動と何が違うかというとあかりに確信として伝わるか否かという一点以外に ・・・ 浩之の意志の有無が見出せる、と考えました、今。最初は伝える気もなかったし伝わらなかった、2回目は伝える気はあったけど伝わらない、3回目は ・・・ という感じで段階を踏んでいる最中ではないかと。互いに確信を求め、確信を得たら一応そこでお話としてはオシマイです。

あかりにとってはまだ「いつも通りの浩之」である必要があるわけで、だから中学校のときのシチュエイションを繰り返す要請が(作者から)あった、浩之としては明確に伝わらないのが不本意であっても ・・・・ そう考えると逆に浩之ちゃんの青白くんへの態度(又は青白くんからのリアクションの無さ)の理由が見えてくる気がする。つまり作者にお膳立てされた「別に変わってもあまり文句は出ないよ」的な状況に「んなの関係ねえよ」的な反抗を見せたのではないか、とふと思いました。いや、メタな話をしてるんじゃなくて作者の頭の中で、という意味ですけどね。収まりつかない(作者の頭の中の)浩之はフォークダンスの強引な割り込みで意志表示した挙句、あかりに「カッコよかった、だろ」って言っちゃうんですよ。これはもう「お前の為に走ったぜ」と同義であかりにもあまり減衰せずに伝わった筈だと(浩之は確信したと)思うんですけど(対していい想い出ができたと喜ぶ来栖川先輩に対しては、よかったな、とは応えるのですが彼女にとって何がいい想い出だったかは敢えて聞かないわけです)。ただ、確かに青白い子をみかねたという(作者が強引に立てた)エクスキューズがあかりの脳裏に効いてるから、薄皮一枚で確信には至らない。あかりにとっては今のところ実は自分の為だけに走ったのだと希望的観測を立てる深刻な需要がないから「いつもの浩之ちゃん」に感激して一方的に想いを寄せるにとどまる、というところでしょうか。そうするとこの微妙な齟齬は見てる側にとってちょっと面白い(浩之には悪いが)ので青白くんのイヤ設定の意義アリかな、とも思えます。(買いかぶられたり怖がられたり、いいようにも悪いようにも誤解されやすいのが浩之の業(?)というか)


正直なところ、浩之が「あかりの為に走った」とあかりに薄々バレても本筋として構わない、とは思うんです。浩之とあかりは日頃からボディブローを食らいあっているわけで、それがやや意思表明を伴ったものになるか、比較的大きな出来事だったか、というのはあまり関係がない。浩之とあかりが想いを寄せ合っていることを互いに察知しているだけでは、ふたりの有り様としてはそのままでもいいんです。あかりがこのままじゃヤバイ(いつまでも一緒というわけにはいかない)かもな、と思いはじめるのが「最初の出来事」であって、そこからあかりシナリオに入りはじめるとしても、それまでのあかりにとっての「いつもの浩之ちゃん」はあかりの為を思って何かしてくれる存在で今回のようなあかりの為だけのヒーロー的な要素を含んでも構わない、というか。運動会というのはアニメだと日常の一コマですが、浩之達にとっては非日常的なイベントですから、そこで多少進んで次につながらずにまた戻る、というのが一見不自然でも割とリアルな気もしますしね。(尺が長ければ行きつ戻りつ螺旋振幅な描写もアリかもしれませんが・・・それが無理なんだな。)


> 「鑑賞者 = 浩之」論のたぐいの、 人物に沿って眺めることを
> 仮定した論旨展開がすこし窮屈に感じる結縁でもある。

浩之主観シンクロについてはプレステ版理緒シナリオの時点でかなり払拭にかかったように見受けます。あかりを攻略してはじめて出現するオマケシナリオ、しかもたぶん最後にやる人が多いだろう(笑)という作者の読みからか、アニメ版視聴の練習台に用意されたかのような気もします。
アニメ版にしてもあかり主観というふれ込みだったのが、始まってみればほぼ客観視点で、浩之はもちろんあかりの心中まで見えないことが多い ・・・・ 逆にだからこそ今までモロ見えだった人物(浩之)の心中が他者として気になるつくりになっていると思ったんですよ。確かに結果的に浩之中心に見てますね。


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